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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)2270号 判決

控訴人 北川菊松

被控訴人 国

指定代理人 川本権祐 外一名

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一、訴外財団法人海仁会(支部を含む)が昭和二二年三月二五日に昭和二一年勅令第一〇一号(昭和二〇年勅令第五四二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク政党、協会其他ノ団体ノ結成ノ禁止等ニ関スル件)第四条第一号(ロ)、第二条の規定による解散団体に指定され(昭和二二年三月二五日内務省告示第七二号)、同令第三条により海仁会の所有又は支配する財産はその取引が禁止され、被控訴人において接収保管すること、その後一九四八年(昭和二三年)三一日付SCAPIN一八六八号「解散団体所属財産の処分に関する件」覚書が発せられ、これに基き昭和二三年八月一九日に「解散団体の財産の管理及び処分等に関する政令」(昭和二三年政令第二三八号)が公布され、同政令第二条により、海仁会が昭和二〇年八月一五日以後になした財産の処分はすべて無効とされ、ただ、

一、公租公課の支払、

二、使用人の給料、家賃、地代、電気料金、ガス料金その他日常必要な経費の支払、

三、贈与、貸付、清算費用の支払、他の団体に対する出資又はその他の金銭の交付で、その額か一万円に満たさないもの、

四、不当に低廉でない対価を得てした財産の処分、

のみが、これより除外されたこと、且又同令第三条の規定により海仁会の動産・不動産・債権その他の財産権は、すべて昭和二三年三月一日限り国庫に帰属することになつたことは、いずれも当事者間に争がない。

二、いずれも成立に争のない甲第二乃至第四号証控訴人名下の印象が控訴人の印によるものであることについては争がないので、真正に成立したものと推定される甲第一号証並びに原審及び当審における控訴人本人尋問の結果の一部によれば、控訴人は海仁会横須賀支部久里浜支所の事務長で、同支所は終戦後主として引揚軍人やその家族に対し酒保品を販売していたところ、昭和二一年一月中旬頃進駐軍の命により昭和二〇年一二月末日限りで解散する旨の指令を受取つたが現地進駐軍当局は引揚者らに対する日常品の販売を継続するよう要請してきたので、控訴人は海仁会幹部と協議の上、控訴人の個人事業としてこれを行なうこととし、昭和二一年一月二〇日控訴人は海仁会より前年一二月三一日付で海仁会久里浜支所が当時保有していた第一及び第二物件目録記載の物件を一括して金一七万三、一七八円六一銭で買受けその頃その代金を支払つた、尤も昭和二一年一月一日以降同月二〇日迄の間に海仁会久里浜支所が既に他に販売した物品が若千あつて控訴人が引渡を受けた物品は別紙第一及び第二物件目録記載の物品の合計より若千(その品目数量は不明である)少なかつたが、これらの分については、控訴人が一月やに他へ販売したこととして処理された、以上の事実を認めることができる。前記控訴人本人尋問の結果や成立に争のない甲第五号証中には、「昭和二一年一月に入つてから控訴人が買受けるまでの間に別紙第一及び第二物件目録記載の物品は既に大半が他に販売され、存在しなかつた」旨の供述や記載があるけれども、欄外の「久里浜荘に売却」という記載部分を除いて、いずれも成立に争のない甲第八〇乃至第八五号証によれば、前年一二月中の販売実績は少額であつたことが判るし、又前示甲第五号証、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果によれば控訴人は、昭和二一年一月早々海仁会が前年末限りで業務を停止し解散となるであろうと測聞していたことが判るから、昭和三年に入つてから海仁会の活動は控え目であつたものと察せられるので、前記の証拠はこれを措信できない。

三、次に控訴人は前記売買契約は仮装行為であると主張するが、控訴人の全立証によつてもこれを肯認するに足りない。

四、そこで本件売買は前記政令第二条第一項本文により解散団体たる海仁会が昭和二〇年八月一五日後にした財産処分として除外事由のない限り無効となるものであるから、右売買がその除外事由たる同項但書第四号の「不当に低廉できない対価」、を得てした処分に該当し、有効であるかを調べることとする。

前記甲第二号証、甲第八〇号証乃至第八五号証、原審における証人鈴木ノブ子の証言並びに原審及び当審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人が海仁会に支払つた本件売買代金一七万三、一七八円六一銭は海仁会久里浜支所備付の物品受払簿に記載された仕入価格(但し同一物品で仕入価格の異なるものは、その平均額が記帳された)によつたもので、昭和二〇年一二月当時の在庫品は、海仁会が昭和二〇年八月頃より同年一二月迄にみぎの価格で現に、これを仕入れ、当時これに平均八パーセント(昭和二〇年一二月の実績を見ると、相当割高に販売している物件が若干あるが、大部分は仕入価格で販売しており、差益率を平均すると約八パーセントとなる)の手数料を加算して小売り販売していたことが認められる。してみると翌年一月控訴人がみぎの仕入価格で買受けたことは、それが大量且雑多の物品を一括して売買したものであることに鑑みれば、その代価は不当に低廉ではなかつたと言うべきである。

これに対し被控訴人は、当時の適正価格は金七六万六、五一一円七二銭であつたと主張し、成立に争のない甲第九号証の一、二及び原審証人菅原敏彦の証言によれば、被控訴人主張の前記価格は、神奈川県価格査定委員が昭和二五年二月頃法務府民事局長の依頼により査定した査定調査(甲第九号証の二)に、基くものと認められるところ当時は別紙第二物件目録記載の回収物件を除いて物品は現存していなかつたのであつて、それらの品質、規格、単位容量等につき確たる資料があつて前記査定がなされたものと認むべき証拠はないのである。そればかりでなく前記査定によると昭和二〇年一二月当時目覚時計が一個一五〇円、水枕が一個一〇〇円、湯上りタオルが一枚三六円と査定されておつて、これは常識的に見ても余り高額に過ぎることや、その後被控訴人自身その査定額を大幅に減額している事実に照らし、前記神奈川県査定委員の査定額は、戦後のインフレーシヨン(それが昭和二一年二月以降著しくなつたことは公知の事実である)によつて影響されたものと察せられ、昭和二〇年一二月ないし一月における適正価格とは認めがたいので、前記証拠はこれを採用しない。

なお原審証人村上怪の証言により真正に成立したものと認められる甲第一三号証及びみぎ村上証言によると、神奈川県価格査定委員土井弥太郎が昭和二六年四月二七日本件物件につき昭和二〇年一二月一日現在の価格を物件毎に評価し、その合計が金六二万一、一三三円一七銭となつているが、被控訴人自身その後更に大幅にその査定額を減じていることやこれより一年以上前になされた甲第九号証の二の査定が前述の通り確たる資料に基いてなされたものと認むべき証拠の欠けていることに徴すると、前記土井弥太郎の評価が然らざることを認むべき証拠のない本件では、みぎ土井の評価も又同様でないかと推測されるので、その評価はそれ程根拠のあるものと認めがたく、これ又本件物品の適正価格と認めることはできない。

次に被控訴人は本件売買当時のその適正価格は少くとも別紙第一物件目録記載の被控訴人主張の単価欄の通りであつて、その総額(別紙第一、第二物件目録記載の物品の合計価格)は金四〇万三、一〇二円三一銭であつたと主張する。別紙第一物件目録中の雑品の部(1) サーヂ足袋、(2) 新丸型南京錠、(4) カツチングエキス、(13)絹縫糸、(35)巻チリ紙、(56)革砥、(66)目覚時計、食料品の部(26)養命酒、(27)食用油、(28)菜豆、(30)コーヒー、文房具の部(1) パイロツト、(2) パイロツト、その他の部、(6) 強化の各物品の適正価格が同目録記載の被控訴人主張の通りであることは、原審第一五回口頭弁論期日において控訴人が昭和三五年一一月八日付準備書面を陳述したことにより、これを自白(控訴人のみぎ準備書面は被控訴人の同年九月一四日付準備書面の陳述を前提として、これに記載された単価の主張に答えるものとして記載されている。もつとも、被控訴人のみぎ準備書面は、原審の口頭弁論調書のうえでは、これを陳述した旨記載されていないが、現実には、これを陳述したものであることは、原判決の事実摘示によつて明らかである。してみれば、原審が一部の品目の価格について自白を肯定したことは、相当である。)したものであつて、控訴人は当審においてみぎ自白を徹回したが、自白が錯誤に基いたものと認めるべき証拠がないので、自白の徹回はこれを許容できないから、右物品の適正価格は被控訴・l主張の別紙第一物件目録記載の通りと謂うべきである。そこでみぎ以外の物品の適正価格について按ずるに、原審及当審証人村上惺の証言により真正に成立したものと認められる甲第一六号証並びにみぎ村上証人の証言によれば、被控訴人主張の適正価格なるものは、昭和二六年一〇月頃法務府事務官村上惺が査定した価格を基にしたことが知られ、村上証言によると、同人は物品の品質、規格或いは単位容量等が不明だつたので、本件売買当時統制価格のあつたものは、そのうちの中等品の価格により、その後施行された統制価格によつたときは、何割か割引したと言うのであるが、本件におけるように、特定物の適正価格を判定するに当つて、不特定物の引渡を目的とする債務につき当事者の意思解釈の補充規定たる民法第四〇一条はこれを準用すべきではなく、又他に中等品の価格によることを相当とするような事由は認められない。そればかりでなく抑々品質、規格或は単位容量等の不明の物品につき、品質、規格、単位容量を基準として定められた統制額を適用してその適正価格をつかもうとすること自体に無理があるものと謂わねばならない。

次に被控訴人主張の適正価格のうちには、海仁会久里浜支所が昭和二〇年一二月販売した当時の小売価格(甲第八〇号証乃至第八五号記載の供給高欄の単価)によつたものがあるが、少量の売買ならばともかく、本件の如く大量且雑多の物品を一括して売買した場合には、それは適当でないと謂うべきである。

以上の通り適正価格について争のない前記サージ足袋以下一四品目のほか、被控訴人主張の適正価格はその算定方法が妙当でないので、これを採用しがたい。而して前述の通り、サーヂ足袋以下一四品目の適正価格が別紙第一、第二物件目録中の被控訴人主張の価格であることは、当時者間に争がないが、右サーヂ足袋以下一四品目だけについてみても、その価格が控訴人の買受価格たる仕入価格計二、四八〇円六一二より合計において後綴の第三表に示すとおり、一二%強に当る金三一三円九四八高額であるにすぎないことは、算数上明白であり、況んや全体の売買価格金一七万三、一七八円六一銭と比較すれば、この程度の価格のひらきを以てしては、控訴人の前記買受代金が「不当に低廉でない対価」であることを否定するに足りない。

なお又別紙第一物件目録中雑品の部(1) サーヂ足袋、(3) 地下足袋、(6) 一級蚊取香、(24)及び(25)軍手、(79)戦斗帽、(85)踵ゴム、食料品の部(2) ソース、(13)澱粉、(14)無糖ミルク、(16)甘味ぶどう酒、(18)みかん缶詰、(23)ます缶詰、文房具の部(1) 及び(2) パイロツト、(3) 白墨、(11)ペン軸、(12)墨汁、その他の部(9) ヒスタメント、(10)リボン蚊取、(12)ロート目薬、(16)カネボウ歯磨、(18)メンソレータム、(20)救命丸の適正価格について、控訴人自身前記仕入価格より高額に評価していることは、その主張額と甲第八〇ないし第八四号証とを比照して明らかであつて、その差額の合計は、後綴の第四表に示すとおり金四、四九八円八九三となるけれども、これを以つて本件売買の全部ないしその一部が前記法条に謂う不当に低廉でない対価による処分に該らないと考えるのは相当でない。蓋し本件の如き一括売買の場合は、全体を一個の売買と考えて、その総代価を基準として全体が不当廉価売買となるか否かを判定すべきものであつて、個々の品目毎にこれを決すべきものではなく、個々の品目の評価はその一資料にすぎないから仮にそのうちに低廉にすぎる評価があつても、その物品が少量のため総代価からみて問題にするに足りないような金額の場合は不当廉価売買と目すべきではないと考えられるところ、前記差額を加算すれば金一七万七、六七七円五〇三となり、更にこれに第三表の差額金三一三円九四八を加算しても金一七万七、九九一円四五一であつて、これを金一七万三、一七八円六一銭で売買したからと言つて、その僅かな価格差から本件売買が「不当に低廉でない対価の売買」であることを否定するに充分な根拠があるものとは考えられないからである。

以上の通り本件売買は、前記政令第二条第一項且書第四号所定の「不当に低廉でない対価を得てした処分」に該当し、有効な売買と認められるので、その無効であることを前提とする被控訴人の不当利得返還請求は、爾余の点について判断するまでもなく失当である。よつてこれと異なり被控訴人の請求を一部認容した原判決は、その部分を不当として取消し、被控訴人の請求を棄却すべきものとし、民事訴訟法第三八六条第九六条第八九条に則り主文の通り判決した。

(裁判官 中西彦二郎 室伏壮一郎 安岡満彦)

第一~四表〈省略〉

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